大一大万大吉の旗のもと

与左衛門の創作トリックテイキングゲーム集

トリックテイキングの系譜

 トリックテイキングゲームの歴史は思ったよりずっと古い。現在ルールの分かっているゲームとして最古のものは、1420年代に遊ばれていた「カーネフェル」であるらしい。その頃の日本は室町時代、足利将軍の御代である。

 イタリアの「トラッポラ」というゲームも相当古く、1500代初頭のものという。日本は戦国時代初期、織田信長が生まれる1534年の少し前のことだ。新しもの好きだった信長は、この南蛮最先端のゲームを遊んだことがあっただろうか。

 また、今でもよく遊ばれる「ハーツ」や「ナポレオン」は1880年代に作られたようだ。日本では、板垣退助自由民権運動を興したり、伊藤博文が初代内閣総理大臣になったりした頃のことである。文明開花の時代、彼らはこれらのゲームを知っていただろうか。

 話は脇道にそれるが、私の戦国時代のご先祖様の朋輩に岩脇定政、通称市介という人がいて、ともに北近江の浅井長政に仕えた。『妙意物語』という古記録によると、ある日、市介は主君の長政から呼び出された。何事かといぶかしく思いながら登城してみると、そこには隣国の高名な軍師・竹中半兵衛が同席しているではないか。そして、主から、彼の双六の相手をせよと命じられる。半兵衛は双六がとても好きで、そこで北近江でいちばん双六が上手だった市介が呼ばれたということだ。この双六は、今でいうバックギャモンのことである。

(以下、引用元サイト)

www.3cardpoker.com